Huawei Matebook Dを買った。

Huaweiのノートパソコンを買った。メインで使っていたThinkPadの電源がなぜかつかなくなり、どこに修理に出しても基盤ごと交換で、修理費が新品を買うよりも高かったので、仕方なく新しいノートパソコンを買うことにした。
僕はノートパソコンという物自体が好きだ。MacBook Proに代表される官能的な曲線美というか、新種の貝殻感というか。その有機的な見た目のものを使ってデジタルな処理をする感じというか。文字も普通のデスクトップのキーボードを使うよりも早く打てる気がするし、何より楽な姿勢で打てるのがいい。このブログもいつもベッドの上に座って壁にもたれて、腹の上にノートパソコンを乗せて、たまに性器まで出して書いている。それくらい楽な姿勢で書けるのはノートパソコンくらいしかない。ちなみにこの文章は有機性など一ミクロンもない、中古で安く買ったレッツノートで書いているのだが(Huaweiのは今日届いて設定がまだ終わっていない)、このパソコンも見た目はさておき、SSDに換装してから非常にきびきび動き、かつ重量が非常に軽く(1.2kg!!)片手でも余裕で持てるからトイレにも持ち運びやすく、あらゆる面で使いやすい。やはり重量が軽いことと、ある程度小さいことはノートパソコンにおいて重要な点だろう。日本の家は一般的に狭いから階段を降りるときやドアを開けて室内に入るときなど軽くて小さくないと、扱いが難しい。起動速度も重要で、SSDは今の時代、必須だと思う。起動に時間がかかると、あらゆるものが萎える。中古で買ったレッツノートはかなりいいのでまたここにレビューを書きます。
新しいノートパソコンについて書くのを忘れていた。このパソコンは単純にスペックと値段で選んだ。冒頭でMacBook Proをあれだけ褒めたのだからMacBook Proを買えばいいのにと思われたかもしれないが、金があればほしい。ノートパソコンを買うにあたって参考のためにアップルショップに行って実機を触ってきたのだが、まず外観の色が良かった。黒みがかった、ちょっと紫の入ったシルバーで、思ったよりも丸みがかってなく、非常にキュッとしまった感じで非常にかっこよかった。ただ、キーボードの打ち心地があまり良くなくて、ストロークが浅すぎて打った気がしなかった。まあ、あの薄さで深いストロークは不可能なのかもしれないが。
それで金利ゼロの分割払いができるから買ってもいいかなと思ったのだが、値段を見て現実的に無理だと悟った。それにHuawei製ならMacBook Pro以上の性能で、半額以下で買えるし、何かと注目を集めているメーカーでノートパソコンの値段もそろそろ上がってくるかもしれんと思ったので買っておいた。
値段は本当に安くて、CPUがi7(第八世代)でメモリが8Gで、GTX940のグラボがついて、六万九千円だった(いっこ前の2017年モデルだったから安かったのか?)。ただ、いくつか難点があり、キーボードがUS配列なところ、記録媒体(?)が粗悪な一テラのHDD(めちゃ遅い)というところ。HDDはSDDに(以前のレッツノートの改造経験から)換装できるからいいとして、USキーボードは使っていれば慣れるのか正直よくわからない。まあ、キーの割当のソフトで、なんとかなると思っている。
ただ、打感があまり良くなくて、けっこうぺらぺら感がする。もうちょっと硬いほうが良かった。この機種は大阪のヨドバシカメラにも置いてなくて実機を触れなかったのが、痛かった。
プログラミングの勉強用で買ったので、これで少しは身を入れて頑張る予定。
パソコンの写真等はまた気力のある日に貼ります。
おやすみなさい。

 

 ※僕が買ったのは楽天です。

ダイエットランド

仕事が休みで暇だったのでプライム・ビデオで視聴できる 「ダイエット・ランド」を4話からシーズン1の最後までいっぺんに見た。めちゃ面白かった。
適当にあらすじを書いていく。
主人公は女性誌の相談コーナーを書いている肥満体の、おそらく40歳くらいの在宅勤務の女性ライター。日々、ティーンエイジャーの悩みと向き合い、自分の悩みとも向き合っている。ある日、主人公の暮らす街(ニューヨーク?)で殺人事件が起きる。それは(どんな事件だったか忘れたが)、女性に対する社会の抑圧を批判するメッセージが込められた事件だった。それからそのテロ集団はレイプ犯や性犯罪者、あげくの果てには過激DVDに出演する有名なAV女優まで次々にメッセージ付きで殺害し、その主張は反発を招きつつも先進的な女性たちの間で徐々に受容されていく。どんな主張だったか?それはあまり覚えていなくて、プラム(主人公の女性の名前)の主張は明確で分かりやすかった反面、テロ集団の主張はなんか曖昧だった印象がある。とりあえず美至上主義や女性を物として扱う思潮に対しての反発がメインだった。
それで、主人公のプラムはそのテロ集団に関与していると思しき女性に目をつけられ、「あなたはテロリストの素質がある」というようなことを言われる。主人公は最初はその言葉をまともに受けなかったけれども、自分が太っているからという理由で愛されない、酷い扱いを受ける(また別の理由で解雇される)のを経験して自分も「地下で不満を抱く反乱者」として、その組織に関わる決意を固めていく...
途中でプラムにお金を渡すから自分たちの、テロとは別の?(もしかしたらテロへの資金提供者じゃないかと疑われている)慈善団体の施設に入寮してくれと勧められたり、プラムが記事を書いている雑誌社の地下のコスメルームにテロの首謀者と疑われている女の子が出入りしていたり、そのコスメルームを仕切っている女の人がまたなんかよく分からなかったりと、シーズン1を見終わった後でも、謎が山のように残されていて、非常に楽しみである。テロ集団の主張が曖昧だったのもあまり明確なメッセージを打ち出してシーズン1のうちからテロ集団の正体を明かしたくなかった面もあるだろう。
シーズン2はいつ公開されるんだろう?早く見たい。

 P.S何が面白かったのか書いてなかったので追記すると、(僕も含めた)太っている人に社会がいろいろ言ってくることに対して異議申し立てできるんだという可能性を開かしてくれた点。デブは健康に良くないし、見た目も良くないからなるべくなら痩せるべきだと、たいして実行こそしていなかったけれども(でもこのドラマを見ながらいつもエアロバイクを漕いでいた、十分くらい)思っていたから、デブも誇っていいんだと初めて気づかせてくれた。

でもどうなんだろな、デブが迫害されているから革命を起こしてデブに優しい社会が到来したとしても、デブは健康に悪いのだからそれを手放しに承認していいものか。アル中の人に、アル中も本人の自由だし、その人なりの美学があるのだから誇っていいし、続けていいと言っちゃって構わないのだろうか。

同じことが路上生活者にも言えて、このあいだ、路上生活者に弁当を配る活動に参加してきたのだけど、その活動の主催者がブログか何かに「路上生活者が自分の生活に誇りを持てないのが良くない。自尊心がないから就職活動もうまくいかないし、何かを変えよういう意欲も湧かない」というようなことを書いていた。そのとおりだと思うのだが、かと言って路上生活者に誇りを持って外で生活してもらって冬に凍死されるのもまた大変な不幸なわけで...いくら自尊心があったからと言ってそれは不幸じゃないですかね。

 

この問題については、また発見があったら何か書きます。

 

 

万引き家族 メモ

是枝監督の「万引き家族」を見てきた。祖母の年金と父母の仕事と万引きで生計を立てている家族がふとしたきっかけで、寒空のアパートのベランダに放置され、ネグレクトを受けていた女の子を拾い、愛情たっぷりに育てるが、他人の子供を勝手に拾ったかどと過去の殺人などの罪で家族が解体し、その後で救われた者と救われなかった者が出てくるという内容だった。個人的には家族解体後の経過をもっと丹念に追ってほしかった。映画の八割くらいが、世間から概ね見放されている人間がいかに赤の他人を暖かく受け入れるかを描いていたが、そういうのはよく聞く話だし、その家族の一員ならまだしも、あのすべての動作が汚らわしいリリー・フランキー扮するおやじの愛にたいして心動かされなかったので、そこはすっ飛ばして貧困家庭で学校にも行かせてもらえず、万引きばかりさせられていた子供が普通の社会に移ることで、どういう感情を抱くのかを知りたいところだった。以前、北九州の愛犬家殺人事件の犯人の息子のインタビューがテレビであったが、あれは非常に興味深かった。あの息子は虐待も受けていたし、愛情はまったく与えられなかったので、父親との関係をなかったことに(しようと)していたが、この映画の場合はとても愛されて育ったので、まただいぶ違った感想を持つはずである。
家族が解体された後、救われたのはパチンコ屋の駐車場に捨てられた、ベランダにいた子の、兄に当たる子である。この子は学校に通っていれば小学校高学年か、中学生なのだが、学校に通わせてもらえず、今回の家族の解体につながる直接のきっかけを作った。ベランダにいた子も成長すれば兄のように学校に通いたくなるだろうから遅かれ早かれこの解体は起こったと見るのが自然だろう。
そしてこの解体に一番の打撃を被ったのは父親である。彼は何よりも家族の愛を大事にしていたし、母親からの年金も当てにしていたし、子供を使った万引きからも直接の利益を得ていた(というか万引きをしなければ子供を養えなかった)。それらのすべてを失ったのである。解体後、彼は一人寂しく暮らすが、妻が釈放されればまた似たような家族を作るかもしれない。
この父親と同程度、もしくは父親よりひどい打撃を被ったのはベランダに放置されていた女の子である。この子の場合は単に何もなかった頃に逆戻りするだけだ。両親は誘拐されてから3日間も警察に通報せず、世間から叩かれていたので、戻ってからはもう少し、例えば福祉課の人が定期的に通うなどしてネグレクトや虐待が緩和するかと思いきや、たいして監視もされず、相変わらずネグレクトや虐待が続く。彼女の場合は早くもといた場所に戻りたい願うはずだ(と単純に思ったが、実際にそうなのかは分からん)。
そうすると、愛情深いだめ家族という環境はごく幼い頃には良いもので、子供は両親(?)の愛情に包まれ、心健やかに育つが、成長するにつれて学校などの社会的なものに関わらなくてはならなくなって良くなくなるということか。つまり継続的な関係ではない。愛だけじゃ子供は育てられない、と。
しかしこのだめ家族は愛だけじゃなくて、明確な経済関係もあった。例えば、リリー・フランキー夫妻とどういう関係なのか最後まで分からなかったのだが(娘?)、同居していた年頃の若い女の子の面倒を見る代わりに別の家族(誰?)から祖母は支援金をもらっていたし、祖母の年金を家族は死んでからも受給していたし、子供を万引きに使って食費を浮かせていた。なので、「お金のために一緒にいた」と言うこともできる。いろんなものが渾然一体となったのが家族ということでそろそろ寝ますね。

 

 P.S 結局のところ、何が言いたいのか分からない映画だった。社会のものさしでは測れない幸福もあるんだって言いたかったのか?タイトルとDVDの表紙からしてもそう言いたかった可能性がある。しかしそんなの自明じゃないか?

 

万引き家族【映画小説化作品】

万引き家族【映画小説化作品】

 

 

疲弊

最近、周りにリベラル、左翼の人達がいるせいか、「痴漢冤罪で男がビクついて電車に乗らなきゃならないなんてひどい」「男であるだけで暴力的な存在だとみなされることに我慢ならない」「女性は人生の選択肢が豊富。専業主婦にもなろうと思えばなれるし、キャリアウーマンにもなれるし、風俗嬢にもなれる。男は死ぬまで働くだけ」等の発言をすると、烈火のごとく、「お前は男性という恵まれた立場に無自覚なんだ」「風俗嬢がどれだけ大変な職業か分かっているのか」「職業選択についても女性は大きなハンデを負っている」等と怒られます。先週、最近行っているシェアハウスで集中砲火を浴びました。

LGBTは除いて(除かなくても話は同じですが)、二種類の人間がいたとして、一方が恵まれていて、もう一方は蔑まれている。優遇されている立場の人間は、たとえ「おかしい」と思うことがあっても、(優遇されているのだから)甘んじて受け入れるべきなんですかね。社会があって、一方に権利が集中しているのだから、それを是正するのが最優先に考えられるべきで、優遇されている方の権利の検討は後回しにすべきと?
 
なんかもう、いまの男性はいなくていいと言われている気さえするんですけども
酔ってますけど、今度集中砲火を浴びたら「男性は電車乗らなきゃいい」と言ってみます。息もするな、と。

映画「三度目の殺人」を見て

「私は常に誰かを裁きたいと思っていました、でも裁かれるのは常に私」

「逃げてしまったと言いましたがね、本当は私が逃したんですよ。
私があの小鳥の運命をこの手で決めたんです。」
「つまりあなたはただの器?」


是枝監督の「三度目の殺人」をさっき見たんだが、裁判もののこの映画の容疑者は相手の欲望なり思いを繊細に受け取り、相手が望むとおりに行動してしまうらしい。映画を最後まで見て、上にあげた映画終盤のセリフを文字通り解釈すると、どうもそうなる。


この容疑者は本当にころころ証言を変える。弁護士とのやり取りは見た者は皆、「最初からそう言えよ!!」と画面に向かって叫ぶこと必須である。でも本当に容疑者はただの器で、相手の望むとおりに行動する機械かというと、そうではないと思える場面も多々ある。証言の中に出てくる登場人物たちに対する激しい反発、弁護士の意見に対する反論等、自分の意思がちゃんとあることを容疑者は示している。しかしその意思が弁護士の意思の投影に過ぎないと思える場面も多々あって(上にあげた「つまりあなたはただの器?」)、非常に一筋縄ではいかない人物になっている。

どちらかと言うと、映画の中で弁護士の仲間が「あんなのは科学じゃない」と軽視した精神病理学の範疇に収まる人物かもしれないと思えるところがある。それほど容疑者は真実を軽視する。証言をころころ変えて裁判官の心証を悪くし、裁判で不利になろうともお構いなしである。確かに彼を弁護する(故に彼に翻弄され、頭を悩まされ続ける)弁護士も「大事なのは真実ではない。裁判で役立つフィクションだ」と宣っているが、そのフィクションを支える証言をころころ変えられては、どうしようもない。しかし証言を自由に変えられるのもこの事件が一切の物的証拠がない、自白だけが根拠である点に依存している。何らかの証拠があれば、ころころ変わる容疑者の証言のどれが真実かを選別できるが、この事件は初めからそうではない。だからこの事件を巡る裁判は容疑者という乱数を含んだ、言葉のメタゲームのようになっていて、そこに弁護士が(容疑者の指名により)放り込まれ、苦労させられるという感じである。

容疑者もそのように裁判を捉えている可能性がある。容疑者は過去にも一度、事件を起こした。その時に、裁判官を務めたのが主人公である容疑者の弁護士の、父親である。裁判官は当時の世評に乗っかって、「事件を起こした犯人だけを責めるのは公正ではない、周りの環境まで含めて判断すべきだ」と考え、あとで後悔することになる、事件の悲惨さに比べて異例の軽い刑を容疑者に科した。裁判官は判決を終え、すでに二十年以上が経過した今でも容疑者からの手紙が届くと言っていたが、それは判決に納得がいかない容疑者の抗議の手紙ではないか?と思うのだ。

つまり要約するとこうである。容疑者は弁護士の父が出した判決をひどく理不尽なものに感じた。自分はもっと重い刑に科せられるべきだと思った。しかし現実にはその決定権を委ねられていないから、神(裁判官)になることを望んだ。
それで容疑者がとった道は、司法試験を受けて裁判官になる(というか、殺人などの前科ある者は裁判官になれない?)のではなく、また事件を起こして自分がその場所(裁判所etc.)の支配者になることだった。そのために自分が乱数になり、自分の発言によって状況が左右される場を作った。ついには裁判官をも翻弄する神になった。

 

でもうまいこと考えたと思ったけど、容疑者がそんなに支配欲が強い奴にも、司法に恨みがある奴にも見えなかったんだよなあ。
それに、いくら支離滅裂なことを言ったって、所詮なれるのは「裁判の中の困ったちゃん」だけで、最後に決定するのは裁判官なのは変わらないよなあ。むしろ自分が起こした波乱でさえ、うまくまとめてしまう神(裁判官)ということで、既存の神の優位性を証明してしまうことになる、というか「なった」よなあ。

 

映画見た人、うまい解釈教えてくれませんか?

 

三度目の殺人

三度目の殺人

 

 

不発

今日はゲイのパレードを見に大阪まで来ていたが、パレードの場所に行っても誰も何もしていなかった。それでホームページで日時を確認したら開催日は明日だった。前日から泊りがけで来ていたので、ホテルで風呂は入っていたものの、シャツや下着はちょっと臭ったので、一旦帰宅することに。帰宅して着ていた服を全部洗濯機に入れたときの爽快感は格別で、このまま自分も洗濯機に入って溺死したいくらいだった。明日また同じ場所へ行って今度こそパレードを拝んできます。その模様はこのブログにアップするかもしれません。
しかし宿泊した心斎橋のホテルの大浴場で見た、背中全面に入れ墨を入れた大柄なヤクザが今日一番印象的だった。入れ墨禁止の温泉がほとんどな中、ヤクザが落ち着いて入れるのはこういうホテルの中の人工温泉だけなんだろうなと思った。かなり気持ちいい温泉だったが。
朝食バイキングは中国人の家族連れでいっぱいだった。パンを入れるとローラーが回って落ちてくる頃にはパンが焼けているトースターが面白いなと思った。それ以外に感想は特にない。
まあ、今日はホテルのベッドで熟睡して温泉で疲れが取れたけど、目的のイベントは明日だったなあ、という一日でした。

中古レコード屋

職場からの帰り道、いつも何もないところに中古レコード屋の看板があり、気になったので寄ってみた。
狭い急な階段を登ると、「靴をお脱ぎください」と書かれた張り紙があり、靴を脱いで、置いてあったサンダルを履いた。

ドアが閉まっていたので営業中か不安になり、ノックし、入っていいか(中にいるであろう人に)尋ねた。すると、男性の声が「ちょっと待ってください」と答えた。中からがたことと何かを急いで整理するような音、身体を家具にぶつけて痛がる音が聞こえた。「どうぞ」という声を合図に僕はしずしずと部屋に入った。
中には明らかに性行為を終えたばかりの若い男女がいた。先程の声の持ち主が「なにかお探しですか?」と僕に尋ねた。僕はいや、偶然見かけてどんなものがあるか物色しに来たと答えた。それから我々はありがちな会話を続けた。どこに住んでいるか、この店はどんなところか、どんな音楽を聞くか等。その間、僕は平然を必死に取り繕う男性の顔と目を向けるとそむける女性の仕草、及びこの部屋に充満する性の香りに勃起した。男性の話にうなずくたびに勃起を隠そうと腰を曲げなければならないため、まるで鳩のようなうなずきをせざるを得なかった。危うく口からよだれがたれそうになったところで、男性が名前を名乗り、握手を求めてきた。僕はいやらしく見えない笑顔でその握手に応じた。男性の手は柔らかく、乾いていて、僕の手とは対象的だった。握手を離したときに白い粘液が手から伸びた気がした。
その店を後にした後、本当にあの男女は僕が入る直前までセックスをしていたのか考えた。