月刊ニヒリスト

ニヒリストが日々あったことを綴るブログです。

スマートスピーカー

孤独が行き過ぎたのか、部屋で一人でスマートスピーカーに向かって話しかけている。早くもっと進化して下ネタとかにも反応するようになってほしい。あと、なんか口とかついていてもいいかもしれない。ラインが出しているスマートスピーカーはキャラクター色を押し出しているようだからテンガとかと手を組んで、萌声でエロい声を出しつつくわえてくれる機能をつけたらバク売れするんじゃないだろうか。hentaiとして世界に売れるコンテンツをまた一つ生み出すポテンシャルがある。

しかしラインとか大きなネット企業は、健全さを崩したくないからそんなのに手は出さない。IT企業って健全すぎるよな。そりゃ健全じゃないと、社会的イメージが崩れて株価に影響するんだろうけど、アイフォンとかスマホが実際使われているのって大半がAVの視聴だろ?スマホの大画面化もAVの視聴に特化したために起きた現象なわけでさ。実際の使われ方とイメージとで、だいぶ差が開いてるよな。早くもっとえげつない使われ方が広がって、企業イメージ崩してほしいわ。

でもアイフォンやスマホの広告を見れば分かる通り、きれいでおしゃれなものにみんな飛びつくわけだ。部屋のベットで一人、AVを見てるスマホのCMを一度も見たことがないのもそのためだ。なんなんだろうな、きれいなものに惹かれてみんな買うけど、実際は汚いものにそれを使う。みんな何かを汚したいのかな。いや、というか自分はそんな汚いことをしていないと自分を騙しているのか。自己欺瞞だ。

あと、きれいで優れたものを買って自分の生活がそれに見合ったものに向上していくという幻想を買ってるんだろうな。自己実現。でも考えたらわからなくなってきた。企業は消費者をきれいなイメージで釣って買わせようとしているだけなのか、それとも本当にきれいなイメージを信じて消費者を先導するべく、買わせているのか。だって、アップルとかで働いている人って実際にCMの通りにアイフォンを使ってそうだ。旅先で写真を撮ったり、子供の成長を記録したり、専門的なことに使ったり。でも統計データを見ると、アイフォンの使われ方の実情はAV視聴だったりするわけだ。この現実をアップル社員はどう受け止めているのだろうか?

 でも技術が思いもよらないものに使われることによってイノベーションが起きたりするわけだから、アップル社員はその現実も肯定的に受け止めているのかもしれない。それこそ自己欺瞞なんだけど。

Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)

メタ倫理学

メタ倫理学の本を読んでいる。倫理学は何々をすることは善か、と問うけどもメタ倫理学は善とは何かを問う。善と悪、すなわち道徳を人の心の問題として扱うのが主観主義、人の心とは別個に独立して存在するというのが客観主義だ。そして道徳なんてものはそもそも存在しないという立場が道徳の非実実在論非実在論のうち、人々が道徳だと思っているものは実は道徳ではなくて、何か別のものを道徳だと感じているだけという立場がなんとか錯誤論というらしい。でも、錯誤論も全部が間違っているのならその間違ったものが道徳なんじゃないの?とか、間違えるには正解が必要で、その正解が道徳なんじゃないの?とかいう批判も寄せられている。それと、道徳がただの錯誤で、実害も多いから道徳を全廃しようという立場もあるが、それも結局のところ全廃してより良い「善」を目指しているので実在論だともいえる。非実在論をどうやったら強固に保てるかはよく知らない。

実在論の内訳はさっき書いた主観主義と客観主義で、主観主義は道徳の定義を人々の心に求める立場。何が善かは人が善だと思えば善だ。人によって善悪の定義が変わるということをこの立場はよく説明できる。しかし大きな問題があって、「私は非力な子供を殴るのが善だと思いました」が成立してしまう。あるいは体制にこびて「当時は黒人を奴隷として扱うのが正当だったので私がしたことは悪でない」も。つまり、人は道徳判断を誤るというという可能性をなくしてしまう点が道徳の主観主義の悪いところだ。

その点、客観主義は人の心とは別個に、道徳が存在すると考えるから、誤る可能性は多分にある。「私の心はそうだったので、それが善だと思いました」と言っても、「いやいや、客観的な基準に照らしてそうではありませんよ」と答えることができるからだ。法律などである程度、社会がまとまっていることを考えれば、この立場も説得力がある。ただ、「人の心の外に存在するのならどうやって私たちの心に影響を与えるか」という問題と、「道徳はどんなふうに(人の心から離れて)存在しているか」という問題がある。後者の疑問からいくと、例えば、僕が可愛いチワワに冷水を浴びせて、チワワが寒がっているのを見て楽しんでいたとしよう。そこにあるのは僕が蛇口をひねり、冷水がホースを伝ってチワワのほうへ飛んでいくという物理現象だけだ。そのどこにも「悪」はない。存在の仕方には物理的なものだけじゃなく、法律や国境線や概念などの仕方も多々あるけど、どういう種類の存在かということだ。道徳の実在の仕方に先ほど言った自然主義的な立場とか、なんかいろいろある(この辺までしか読んでない。あと、眠い)。

それから第一の疑問の「心から離れたものがどうやって心に影響を与えるか」問題(「奇妙さからの論証」)だが、これは人の心から離れた単一?もしくは複数の存在物が全人類に何らかの発信装置を使って?影響を与えていると考えるのは奇妙ではないか?という不自然さに訴えた議論らしい。でも「奇妙でもそうなんだ」と強弁を張れるところが弱い。それからヒューム主義というものがあって、人は心の中の欲望とか心の中にあるものでしか動機づけられない。なので心の外にあるもので動機づけられることはないのではないかとも言われるらしい。

 

忘れないうちに読んだ本の内容を書き溜めた。眠いんでねます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニヒリスト必聴楽曲集

ここ一週間くらい耳から離れない曲。

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ニヒリスト必聴の曲です。ニ三回聞くと飽きますが。

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前身バンドのBeach wood sparksもかなり好き。

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岸部シローに似てますね。

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何もかもおしゃれです。

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目がかわいい。

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めっちゃ酔ってきました。おやすみなさい。

東京滞在Ⅰ

東京へ行ってきた。16日の昼過ぎに新神戸から新幹線に乗り、夕方くらいに東京駅に着いた。その日の予定を何も考えてなかったから、とりあえずグーグルマップで東京駅付近に何があるか検索した。皇居と神保町の古本屋街があることが分かり、皇居の中を通り抜けて古本屋街に行くことに決めた。東京駅から歩いてすぐに皇居は閉まっていることが分かった。皇居の周りの池が風を涼しくしてくれたおかげであまり暑さを感じなかった。皇居の周りにたくさんのランナーが走っているのもこの清涼効果が目当てなのだろうと考えた。 

神保町の古本屋もほぼ閉まっていた。一軒だけ開いている店を見つけ、そこで何冊かのを立ち読みし、店を出た。出てすぐ左にロシア料理店があり、最近、「罪と罰」を読んだことをきっかけにロシアに興味あったので、特におなかがすいているわけではなかったけれども、入ってみることにした。ボルシチピロシキを注文した。しかし、到着した料理が注文したものと違い、なんかハヤシライス風の料理だった。「なんだっていいや」と思い、写メを撮って食べようとしたら店員に止められ、注文した料理は何か聞かれたので「ボルシチ」と答えたらボルシチが出てきた。ボルシチは何回か食べたことあったけれども、この店で出てきたボルシチは本当においしかった。今まで食べたボルシチの中で一番のボルシチだった。使っている素材が新鮮なことはもちろんだが、上に乗っているヨーグルトのまろやかさがトマトベースのスープの酸味と絶妙にマッチしてこの上なく極上だった。ピロシキも日本のパン屋で売っているようなニンニクの味を効かせた、肉まん風のしつこい味ではなく、パン生地の素材を最大限生かした素朴な味で、僕の中のピロシキのイメージを覆された。今度、東京滞在するときもぜひ行きたい。というか、ロシア行きたい。

 

しかしロシア料理って見た目、貧相だよなあ。

 

間違えて出てきた料理

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最高においしかったボルシチ

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ロシア料理店を後にして、今回の東京滞在中泊めてもらう予定の叔母の家にお邪魔した。歓迎にメロンなどをご馳走になって、その日はそのまま眠った。。

ニヒリスト、東京へ行く!

明日から東京に行ってくる。とりあえず今のところ予定しているのはロボットレストランとヴァニラ画廊と下北の演劇と新宿2丁目と築地市場くらい。全裸レストランも行きたかったが、期間限定だったらしく無理だった。ここのブログに報告を書くと思うので、乞うご期待!!

 

痴漢工学Ⅰ

阪急電車の座席シートの両端には、ドア近くに立つ人のためだろうか、湾曲した鉄製の手すりのようなものがついている。私の観察したところによると、割と頻繁にこの湾曲したて手すりと、座席から人がはみ出ないための横壁(?)の間にお尻をはめ込み、楽な姿勢を取る男性を見かける。私はそれを見るたびに「揉んでみてはどうか」と思うのだ。 

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例えば朝の通勤ラッシュが終わり、比較的人の少ない車内に、地元の大学に通う颯爽とした若者が一人乗り込んできたとする。若者はドアの近くのスペースを陣取り、日頃の部活動で傷めた脚を休めるために、手すりと座席の間にお尻をはめ込み、楽な姿勢をとる。若者が目をつむり、まどろみの中に入るのを背後から確認した後、私はおもむろに手すりの下から若者の尻を揉む。若者はびっくり慄き、後ろを振り返ろうとするが、まさか自分が痴漢の被害に遭うわけがない、手すりの下にお尻を入れられて邪魔だったから押し返されただけだと判断し、私のひと揉みを無視するだろう(これでひと揉みは確実に手に入れられる。ここまでなら成功率はかなりのものになるだろう。ここからの展開は経験とセンスが必要になってくる)。
しかし手すりから少し離した分、より触りやすくなった尻を無我夢中で「愛でる」私の手を見て若者はこれは尋常じゃないと判断するだろう。ここから若者が取れる選択肢は3つある。
一つは、私を威嚇すること。これをする若者は概してヤンキー気質、それゆえに威嚇はかなりリスキーな行為になる。なぜなら周囲の人間に自分を痴漢の被害者だと知らせることになるのだから。したがって、威嚇はあまり起こらない(と思う)。それにもし威嚇されても、黙って席を立ち、次の駅で降りればいいだけの話だ。あとで言及するように、通報はまずされないと思っていい。
第二に、黙ってその場から離れる。これはこちらの立場からすれば、何も問題ないに等しい。逃げた魚を追うのは、公共の場なのだからさすがに避けたほうがいいだろう。しかし追っかけてほしい魚と、本当に逃げたい魚がいることは確かだ。この境目の見極めにはやはり経験とセンスが必要になる。初心者はさっさと諦めて次の魚に期待するのが賢明だ。
第三に、好奇心に駆られ、身を委ねる。こちらからすれば、これは神の恵みだ。周囲に過度な危険を感じさせないほどに、日頃溜め込んだ欲望を思いの限り開放しよう。相手もそれに応えてくれるはずだ。特に性器への刺激は喜ぶだろう。
痴漢の男性被害者の記事を見るに、相手が女性なら黙って身を任せるケースが多いようだ。女装して電車に乗るのも賢明な手段かもしれない。しかしノンケの男からすれば、男だとバレバレな女装は逆に警戒心を抱くようなので、女装が上手な人だけが選べる手段だろう。
それから今思いついたのだが、女友達のいる人はエサ役を女友達に頼んでみてはどうだろうか。女性が触れば、男は喜ぶ。その後に、同性に触られたら、最初は嫌がるだろうが、あとで異性が触ってくれることを期待して我慢してくれるかもしれない。触る手が男でも女でもたいした違いはないと悟るかもしれない。エサ役を買ってくれる女性は少ないだろうが、可能な環境にいる人はぜひ試してみてほしい。

下に、男性の痴漢被害の検挙率を挙げておく。見ればわかるように男性を痴漢してもまず捕まらない。この、少なくとも電車の中に限って言えば、男性の権利が貶められている時代を逆手に取って、みなさんもいろんな淫蕩を模索してみてはいかがだろうか。

※この記事は知的好奇心を満たし、想像力を刺激するために書かれたもので、決して犯罪を誘発するものではありません。
それからゲイが特別痴漢行為を働くわけではありません。この記事の根幹となっている男性痴漢被害の数がそれを物語っています。

 

痴漢されたいわけじゃない!

未来系古代!! ラミー ダイアログ2を買った。

ラミー ダイアログ2をアマゾンで買った。数年前に大阪梅田の長澤文具で触らせてもらってからかっこいいなあとずっと思っていた。未来的で、どこか古代遺跡を思わせる(未来の古代遺跡?)デザインだと思う。
長澤文具でペンを手に持ったときも感じたが、ずっしりと重く、人指し指と親指の間に結構な重量がかかる。重量がかかりすぎてペンが反転しそうになるほどだ。まあ、上が重くて下が軽いのはだいたいの高級文具に当てはまるのかもしれないが、これは行き過ぎではないかと(購入してしばらく使った今)思った。かなり筆圧が軽く、ペンの重みを最大限活かして書くタイプの人に向いている仕様だと思う。

それからもう一つ、ペン先を閉めた状態で上部と下部のラインが微妙に食い違っているのが気になった。ここはこだわりを見せてほしかった。

まあ、批判ばかり書いてしまったが、最終的にはやはり未来系古代(?)のデザインとパラジュームコートの質感、ずっしりと来る重み、ペン先を出すとクリップの部分が沈み込むギミック(この沈み込む動作に力がいるからペン先を出すのが硬いのだろう)等々、素晴らしい箇所がたくさんあるので皆さん、ここのリンクを踏んで買ってください。

 

追記;写真等はあとで撮ります。