月刊ニヒリスト

ニヒリストが日々あったことを綴るブログです。

「Netflix アーク・エンジェル」を見た感想

Netflixの「ブラック・ミラー」という一話完結型のドラマシリーズの「アーク・エンジェル」という回をさっき見た。このシリーズは人類のために良いと思われて産み出された科学技術が思わぬ悲劇をもたらすという内容のものが多い。

この「アーク・エンジェル」もまさにそんな感じで、あらすじを書くと、過敏で心配性な母親が自分の一人娘の身の安全を保つために、娘の脳にチップを埋め込む。このチップは娘の視界をそのままタブレットに映し、なおかつ記録し、流血とか暴行シーンなどのストレス値の上がる映像は自動でモザイクを掛けてくれるという心配性の親にとっては願ったり叶ったりの優れモノだ。介護用やペット用で様々なネットワークカメラが販売されているが、その強化版と考えていい。

それで、幼少期はその「ネットワークカメラ」のおかげで娘は怪我もせず順調に育ったかに見えた。しかし徐々に問題が出始める。小学校の低学年になってもフィルターを外されていない娘の視界には小学校でよくある子ども同士の喧嘩や、吠えてくる犬などの光景はすべてモザイク越しにしか見えない。周りの同級生が普通に見ている光景を自分だけが見えないことに娘は徐々にストレスを感じ始める。それで見たことのない流血の絵を美術の時間に描いたり、尖った鉛筆で自分の指を深くまで掘ったりして、作中の母親にとっては異常な行動をとり始め、さすがに「ネットワークカメラ」の弊害を感じ始めた母親は娘の視界のフィルターを停止し、タブレットをクローゼットの奥にしまい、二度と娘の視界を見ないことを心に誓う。

それから娘は流血や暴力シーンに異常な関心を持つことは減り、割かし「正常な」生活をし始めたかに見えた。しかし母親の心配性は治らなかった。娘の帰りが少し遅いとタブレットを取り出し、娘の視界を観察してしまう。それで娘にボーイフレンドがいることを知り、そのボーイフレンドが麻薬の売買に絡んでいることも知る。憤慨した母親は娘のボーイフレンドに「全部見た。証拠もある。二度と娘に近寄るな」と警告し、娘と別れさせる。

突如としてボーイフレンドから連絡が途絶えた娘は絶望に陥り、食事も喉を通らない。ある日、授業中にめまいがして倒れた娘は初めて母親が毎朝作ってくれていた野菜ジュースに避妊薬が混ぜられていたことを知る。憤慨した娘はキッチンのゴミ箱をあさり、避妊薬の外箱を見つけ、ついでに母親のベッドの枕の下からタブレットも見つける。閲覧履歴から母親が自分の彼氏との馴れ初めからセックスシーンまでありとあらゆる場面を見ていたことを知る。寒気と同時に激しい怒りを覚えた娘は服や下着をバッグに積め込み、家を出ようとしたところで母親が帰宅。母親を問い詰め、取っ組み合いをしている最中にタブレットのフィルター機能がオンになる。怒りに身を任せ、娘は母親の顔をモザイクまみれになるまでタブレットでぶん殴る。失神した母親を尻目に娘は家をあとにする。

気がついた頃には娘は家におらず、タブレットの画面も粉々になっているため、娘がどこにいるかわからない。いくらタッチしても娘の視界が画面に現れないことで絶望に打ちひしがれる母親のシーンと、娘との楽しい思い出のシーンが交互に現れることで郷愁(?)を誘う。こんな感じで映画が終わった。

 

あらすじを簡単に述べるつもりがオチまで書いてしまった。この「ブラックミラー」シリーズは三割くらいは「けっこう面白い」から打率は高い印象。理不尽に機械の犬に追いかけ回される「メタルヘッド」やスマホのよそ見運転でアプリ制作者に問い詰める「待つ男」はなかなか面白かった。

 

でも「アークエンジェル」はテクノロジー開発の背景が、よく分かるものなのでけっこう切実度が高かった。誰だって怪我したり死んだりしやすい子供の身は心配だろう。

そして、そういう技術が生まれてしまったらなかなか人は手放しづらい。娘の脳からチップを取り外せたら話はまた変わったのだろうが、取り外せない仕様だったため、問題があった。でも容易に取り外せる仕様だったら...?と、近い将来、いかにも出てきそうな技術だなと思った。

同一労働同一賃金について

同一労働同一賃金ってアルバイトと同じような単純作業している正社員をアルバイトの待遇にするってことか(※1)。ってことは、天国と地獄があったとして、地獄側の面積を広くするみたいなことなのかな。確かに同じ仕事しているのに、違う給料っていう差別はなくなるのは良いことだな。。最近、最低賃金が上がっていたのはそれか。地方に会社を移すの増えそう。なるほど、地方活性化。でも同じ労働しているのに仕事している場所によって賃金が違うのは差別でないか?物価が違うとはいえ。

でもよくよく考えたら、同一労働同一賃金を字義通りに捉えたら地域によって最低賃金が異なるのはおかしくなる。「同一労働同一賃金」なのだから。

今後の流れとしては正社員撤廃になるのかな。アメリカみたいな競争社会になったら、健康保険とか年金払わなくなる人増えるから票を持っている高齢者の反発すごいんでないか?
まあ、政治家は正社員撤廃などという未来のことは考えてないんだろうな。今の高齢者から支持を受ければいい。引退した高齢者にとって、現役世代の待遇の変化なんてどうでもいいから、大した反発も受けないだろう。

同一労働同一賃金は「雇用の流動化」が目的の一つと言う人もいるけど、椅子の数が減ったらもっとしがみつくのでは?まあ、確かに上に書いたアルバイトと同じような単純作業している正社員の雇用の流動化は進むが、上の方でしがみついている人はもっとしがみつこうと思うよね、普通。

なんなんだろうね、世界的流れを汲み取った単なるその場しのぎな政策なんだろうか。あまり先のことは考えてないのかな。理屈上の延長線上では正社員撤廃だが、そこまでやる気はないみたいだし。

まあ、IT従事者の端くれの端くれとしてアルバイトの賃金が増えるから機械化しようという流れは確実にもっと進むだろうし、朗報と考えることにしよう。同じくらいに僕の仕事も機械化される心配もしよう(苦笑)。

 

※1 はい、アルバイトが単純労働ばかりでないのは知ってます。

ブラウジングの日々

11月から新しい会社で新しい現場にいるわけだが、11月から12月にかけてはまだ仕事があるので良かった。
ただ、先週くらいから徐々に仕事がなくなっていき、今では会社でブラウジングしかやってない。
サーバー移行の仕事で、プログラムの中のSQLをDBの仕様に合わせて書き換える仕事なんだけど、先月いっぱいでほぼその作業は終わって、今月の初めは修正の残りを修正する作業をやって、それも終わって、今はやることがない。
ほんとは次に修正したプログラムの実行結果に不具合がないか確認する作業があるのだけど、実行するのに準備が必要みたいで(?)
、現場の人がまだその作業を終えていないため、実行できない。先週の終わりから10日くらいの待ち時間が発生している。
で、何をやっているかと言うと、前述の通りブラウジング。前の現場と違って、後ろに席があるので派手目な広告のあるサイトは閲覧できない。
また前の現場と違ってネット閲覧にいろんな制限がかかるため、求人サイトや広告と判断されるものは見られない。
その中でよく見ていたブログを紹介していきたい。

https://yoshinorin.net/

頑張っているな、俺もがんばろと感じる。
とりあえず、今読んでいるLaravelの本を読み終みながら、PHPだけで作成したつぶやきサイトをLaravelの上に乗っけるのと、
Laravelでブログサイトを作って、ここのブログを移行できないか検討する。年末年始もどうせやることないのだからPHPでやれることはやる。JAVAVB.NETPHPを触ってきたが、PHPが一番理解できた。ウェブ向けに作られた言語だけあって、CRUDが簡単にできる。
でも簡単なだけあって、単価は低いらしい。なんでなんだろうな、同じことを簡単に実現できるのなら簡単なほうがよくないか、と思うのだが。

 

はい、仕事なくならないように、スキルつけます。

 

 

Osmo Actionを購入

去年くらいから欲しかったOsmo Actionというアクションカメラを買った。今日街コンを行った帰りに撮ってきたのだが、夜なのにもかかわらずけっこう鮮明に撮れていた。下に気が向いたら画像なども掲載する。

 

アクションカムと言ったらゴープロが有名で、いろんな固定器具やケースも豊富なのに、なぜOsmo Actionを選んだかというと、このデザインの良さ。丸いレンズと下の排気口とロゴのデザインが良くて、レトロでトイカメラ感があって好きです。

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ケースを付けたらこんな感じ。僕はリュックに取り付けられるマウントを千円くらいで買った。

 

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メモリーカードが非常に高かった。アクションカムに対応しているメモリーカードは読み込みの速い、やつ以外はエラーが起きてしまい、だめらしい。6千円くらいした。もしかしたらほかに方法があるのかもしれないけど、探すのが面倒だったため店員に促されるままこれを買った。

 

 

撮った動画は後日(今週中には)youtubeにあげて、この記事にリンクを張ります。

今度、テレクラとか行って撮りたい。

 

 

 

「心のありかー心身問題の哲学入門」 前半読んだ感想(というか、要約)

心なんてものは脳の神経細胞の発火に過ぎないという物理主義の冷めた主張に一石を投じるために、いろんな論者の主張をまとめた本。物理主義の考えでは心なんて、脳の状態によってどうにでもなるものなんだから、サプリとか薬とか飲んで脳の状態を変えることが重要だという(割と理にかなった?)ことを言いがちだが、脳とは切り離された心の領域があり、心の移り変わりが物質的な介在なしに行われるのだということを、前書きを読んだ限りでは言いたいんじゃないかって本。まだ前半しか読んでないが、けっこう面白いことを書いていたので紹介してみる。

 

まず心があるのだと言うために、物理主義よりの考えだが、還元(本書の用語では「スーパーヴィーン」)という概念を使う。例えば「腕が痒かったから掻いた」という文があったとして、まず「腕が痒い」という心的出来事には「腕が痒い」という心的側面と、「腕の痒さを実現する脳細胞の発火」という物理的側面の2つがある。そして心的側面には規則がない(例えば、これまで好きだった子が突然嫌いになるかも知れない)。しかし物理的側面は厳密な科学の規則に則っており、ある神経細胞の発火が閾値を超え、ある感情を起こす等、因果関係を説明できる。還元という概念を使って、心があると主張したい人は脳の状態の様々な変遷によって、その都度、心がスーパーヴィーンされていると主張する。

 

しかし心が物理的現象の基盤の上に乗っかったものだという主張では、心は因果関係に対して何の役割も果たしていないという事になる。心Aから心Bに移り変わるのに、脳の状態の変化しか影響しないのであれば、心は単なる、(良い例えが思いつかないが)のり弁の上に乗ったのりでしかない。心の推移に心が影響を与えるような理論を作るために哲学者が努力してきた(みたいだ)。

 

しかしキムさんという哲学者が上の、心が心に影響を及ぼすことは、本を読んだ印象では徹底的に理解不能であるとする論文を出した。そこでも還元という概念(「スーパーヴィーン」)を使う。

「頭痛がするので頭痛薬を飲んだ。そして頭痛が解消した」という文があるとする。この頭痛がするという心的出来事をM、頭痛薬を飲み、頭痛が解消した後の心的出来事をM#とする。そしてM、M#にはそれぞれの心的出来事を実現する脳細胞の働き、P(飲む前)、P#(飲んだ後)がある。

 

MからM#に移行するのには3パターンの経路がある。

①M→M#

②M→P#→M#

③M→P→P#→M#

 

①は、「心には規則性がない」という上の説明によって却下される。

②は、因果的過剰決定という、結果M#に対して、複数の原因があるのは、おかしいという理由で却下されるらしい。因果関係は一対一でないとだめらしい。これは本をさっき読み返したけど、よく分からなかった。

③は、P#→M#の部分が「スーパーヴィーン」のそもそもの原則、心が脳細胞の働きやICチップなどの物理的なものに還元される、かつ不可逆という原則に反しているから却下される。

 

そもそも「スーパーヴィーン」がなぜそれほど「確からしい」概念かと言えば、ある性質は物によってしか実現されないから。例えば、勇敢な人の「勇敢さ」というのは、弱者をいじめる強敵をこらしめたり、洪水の川で溺れている子供を助けたり、行動などの物理的なものでしか示されない。同様に心も...と言おうとしたが、心は言葉にしたり、顔に出したりしないでも「ある」ように思える。まあ、でも「心があるか?」と質問されたら、説明したり、表現しないことにはあると言えないかもしれないけど。このへんは、本を読みながら考える。ほかにも書きながらわからない点もたくさん出てきた。

 

本の要約になってしまったが、昨日の街コンでまた撃沈した心を鎮めるために、喘息の咳を鎮めるために今日は家で療養生活に励みたいと思います。街コンはもう当分行きません。

 ※続きを読んでいたら、心は脳の物理状態を更新するための媒体だという(キムさんの)機能主義という立場があって、それによると、「喉が乾いたから水を飲んだ」のように、物理としての脳や体の状態を更新するために、「喉の乾き」という心を生み出しているらしい。そうすると、上で書いたような「心が心に影響を及ぼす」みたいなことはまったくなくて、あくまで物質としての脳が存在し、脳の状態の遷移を手助けするために心という架空のものが生み出されているに過ぎない、というか、脳の状態の移り変わりが心だという意見らしい。

心を物理的なものに還元しなくちゃいけない理由は確かに不透明なので、そこは本の続きを読みながら考えていく。

  

心のありか―心身問題の哲学入門

心のありか―心身問題の哲学入門

 

 

街コン報告

今日行った街コンに40歳、ネイルサロン(2店舗)の経営者がいて、その人に告白カードを使えばよかったと激しく後悔した。会場にいた、(後から思えば)サクラっぽい、きれいめな人に告白カードを使ってしまった。そして結果はカップル不成立。人数が男女それぞれ5人ずつしかいなかったとは言え、中間印象カードでその経営者から好印象を得ていたから、勝算はあった。まだコンタクトが取れないか、ネイルサロンのホームページを検索しているあたり、後悔の強さが窺える(ちなみに、検索結果が死ぬほど出てきたので特定不可)。

だいたい僕はブラック企業に捕まってばかりで、稼ぐ能力がないのはある程度分かってるのだから、「経済力のある、自立した女性」を見つけるという方向もありではないかと最近考えているのだ。まあ、ただ経済力があっても、「男は働かねばならない」みたいな固定観念を持っていそうな?公務員とかは無理かもしれない。ある程度、男気のある稼ぐ女性がいいです。

前からこの発想はあったのだが、つい街コンに行くと見た目の良い(か、性格の相性の良いか、マッチングしやすそうな)女性を選んでしまう。経済力という観点が抜け落ちてしまうのだ。女性が男性の年収にこだわる理由のひとつが、「先行きが不安だから」というものらしいが、それなら同様に「先行きが不安な」男性も年収の高い女性を選んでいいと思うのだ(もちろん僕のスペックでは経済力のある美魔女を狙えるとは思っていない)。以前はそう考えていたが、つい日々の暮らしや会社での先輩の言葉などに惑わされて、「男が稼がねばならない」と考えてしまっていた。

【次回以降の戦略】

■次回以降の街コンでは「年収」(と、ある程度の性格の相性)しか見ない方針でやってみようと思う。参加する街コンも、年齢層の高めな、結婚を意識した硬いものにする。できれば、僕の年齢が最下限になるような年齢設定の街コンがいい。そのほうが勝算が上がるので。

それで、これまでのプロフィール欄には「理想の結婚感」を空欄にしていたが、ネットで調べた好印象な結婚観を記載し(間違っても経済的安定とかは書かない)、中間印象カードで好印象をくれた女性に告白カードを渡すようにする。

■「この街コンは年齢層高めだから君は合わない」だの「君ならすぐに彼女できるよ」だの、他人行儀な(まあ、他人なんだけどw)なんていうかイベントに参加している人とは違う、外部の視点に寄った、発言をするキレイめな人は、人数合わせのためのサクラである可能性が高いので、告白カードを渡さない。

■締切一時間前や三十分前の街コンは男性でも割り引きになることがあるので、 それらを狙ってもいいかも知れない。ただ、値引きするということは人が集まっていないということだから参加人数も少ないことを意識する。

以上の点を踏まえて、今後の活動に精進したいと思います。

 

 

 

 

 

 

本棚のペンキ塗り

10月の更新を忘れて失敬!

 

先週、床に山積みされた本がうっとおしくて、ネットで本棚を買って組み立てた。しかし本棚の素材が、木材にプリント板を上から貼り付けた感じで、なんかわざとらしいと言うか、違和感ありまくりだったので、上から色を塗ろうと思って、友達を焼き肉で釣って色塗りをやった。

 

ネットで事前に調べた情報によると、買った本棚のプリント繊維化粧板はウレタンマットという下塗り材をスプレーして乾燥させた後、水性のペンキを塗ると、うまいこと色が乗るらしい。ホームセンターでネットに載ってある商品を購入し、本棚を近くの公園まで運び、まずは下塗り材を塗布した。乾燥までに40分必要ということだったので、本棚を公園に放置したまま家で待っていた。すると、外から雨の音が聞こえ、せっかく下塗り材を塗って乾かしていた本棚がびしょ濡れになり、ついでに下に敷いていたダンボールもびしょ濡れになった。急いで本棚を家に戻し、乾いたタオルで本棚を拭き、友達と相談した結果、家の中で作業をしようということになった。床に新聞紙やビニール袋を敷き、その上で再び下塗り材を本棚に塗布する。ドアとベランダの窓を開けて、風通しを確保した上で十五分待ち、まあ、乾燥しただろうというところで、ペンキを塗り始めた。しかし塗っても塗っても板がペンキを弾き、まったく色が乗らなかった。「ちゃんちゃん♪」、ということで解散という雰囲気だったが、友達に焼き肉をおごる約束だったから、それはちゃんと守ると言った。三千円以内で。「あ、でも今回は色塗りに成功してないから二千円な」と言ったらそれには反対されて、三千円以内で奢ることになた。焼肉屋は近所にないから以前その友だちと行って最高に美味しかった近所の中華料理屋に行こうという話になった。

 

家でしばらくグダグダした後、中華料理屋に行って、八宝菜といくつか料理を注文した。前に行ったときは登山帰りだったから「登山補正」が効いて美味しく感じるのかと若干、懐疑を抱いていたが、相変わらず絶品で、眼を見張るほど美味しかった。ほかの八宝菜と明らかに違うのだ、何かが。エビやイカなどの海鮮素材がとろみのあるスープに良いだしを出しているのと同時に、野菜に対する火の通り方が絶妙と言うか、どうやったらこれほど美味しく作れるのか、キッチンの奥にはどんな魔法が秘められているのか、確かめてみたいほどの驚異的な技。舌の肥えた、寿司屋の息子である、その友達も「近所にこんな美味しい中華料理屋があるなんて羨ましい」と言っていたが、まったくもってその通りだと思った。

 

その感動は冷めやらぬうちに、友達と喧嘩を始めてしまったのが、残念なところだ。友達に「批判ばかりする、閉じた人間」と言われてしまった。「ジョーカー」やその他もろもろの作品を批判(というか、けなし)しているのを聞いてそう思ったらしい。正直けっこう当たっていると思ったので、ここ二三日、落ち込んでしまった。あと、「冷めた人間」というのも言われた。

それから、いろいろ考えたり、本を読んだりして思ったのだが(これも冷めた人間の意見だが)、人には映画や小説を鑑賞しているとき、その世界に入りきっているときの、心の動きや思考がある一方で、それを鑑賞し終えた後に、評価したり、自分の中で位置づけたりする局面がある。僕は後者に偏り過ぎなんだというふうに思った(※1)。もっと作品の中にいたときの気持ちを重視してもいいかもしれない。前者のほうが重要な理由は特にないが、そんなふうなことを考えた。

 

 

以上です。

そう言えば、また転職したのだが、そのことについてはまた書く。

 ※1 他にも「無職で卑屈になってた」とかいろんな理由をでっち上げられるが、普段から卑屈なのは抗いようのない事実な気がします。気をつけます。