月刊ニヒリスト

ニヒリストが日々あったことを綴るブログです。

街コンとは

なんの共通点もない人たちが鳥かごの中に詰め込まれて、マッチングという、何なのかよくわからないものを目指して一喜一憂する。

いや、一憂さえしないのかもしれない。なぜならたとえ、誰ともマッチングしなくても「だめだったわー、てへっ」と仲間内で慰め合えば、それで済むからだ。
その反面、マッチングしても付き合える保証はない。途中で連絡が途絶えることもあるし(今日あった)、一度会っても「街コンのときと印象が違う」という理由で疎遠になることもある。

すなわち、マッチングとは街コン業者が提供する、恋愛のための、なんの拘束力も権限もない保証書のようなものだ。
その保証書を獲得するために、男は平気で五千円を払うし、女性もその半額のお金を払う。

まあ、紙すらもらえないから保証書という例えは間違っているのかもしれないが(ただの、運営者による口頭の宣言)。

とりあえず何が言いたいかって言うと、お見合いとか結婚相談所とか昔から色々あるけど、そのカジュアル版とも言うべき街コンはそのカジュアルさゆえ、仮想通貨ばりの空虚感が伴うということです。まあ、結婚相談所とか行ったことないけど、ああいうガチめのものはダメだったときにちゃんと痛みがあるから、健全なんじゃないですか。

いや、でも、恋愛の痛みは普通の痛みと違って強烈だから、ないほうがいいかもしれん。そのため保険代として街コン代を考えてみるのはどうだろうか。。

と、ムリヤリ考えようとしたけど、普通の出会いと街コンでの出会いでそんなに精神衛生上のリスクが違うかって言われたら、まあ、赤の他人に初めて会って白黒つけられるだけだから、軽いってだけで、その分思い入れがなく、リターンも少ないわけだから、なんだかよくわからない。保険の専門家で暇な人は考えてみてください。

というか、そもそも街コンは保険商品じゃないから、考えるだけ無駄か。

 

出会いって何なのだろうか。小学校や中学校もあそこで恋愛が発生して、結婚することもあるのだろうから、街コンが提供するような「出会いの場」と考えることができる。
でも学校では「好きな異性のタイプ」を聞かれたり(←?)「告白タイム」がないから商品化されていないわけだ。なぜ、好きな異性のタイプの質問や告白タイムがないかって言うと、「学びの場」だからだ。でも学びの場でも恋愛が起きるってことは目的の混同はよく起きるってことで、人が集まれば恋愛も起きるってことで、とりあえず眠いんで寝ます。
おやすみなさい。