月刊ニヒリスト

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万引き家族 メモ

是枝監督の「万引き家族」を見てきた。祖母の年金と父母の仕事と万引きで生計を立てている家族がふとしたきっかけで、寒空のアパートのベランダに放置され、ネグレクトを受けていた女の子を拾い、愛情たっぷりに育てるが、他人の子供を勝手に拾ったかどと過去の殺人などの罪で家族が解体し、その後で救われた者と救われなかった者が出てくるという内容だった。個人的には家族解体後の経過をもっと丹念に追ってほしかった。映画の八割くらいが、世間から概ね見放されている人間がいかに赤の他人を暖かく受け入れるかを描いていたが、そういうのはよく聞く話だし、その家族の一員ならまだしも、あのすべての動作が汚らわしいリリー・フランキー扮するおやじの愛にたいして心動かされなかったので、そこはすっ飛ばして貧困家庭で学校にも行かせてもらえず、万引きばかりさせられていた子供が普通の社会に移ることで、どういう感情を抱くのかを知りたいところだった。以前、北九州の愛犬家殺人事件の犯人の息子のインタビューがテレビであったが、あれは非常に興味深かった。あの息子は虐待も受けていたし、愛情はまったく与えられなかったので、父親との関係をなかったことに(しようと)していたが、この映画の場合はとても愛されて育ったので、まただいぶ違った感想を持つはずである。
家族が解体された後、救われたのはパチンコ屋の駐車場に捨てられた、ベランダにいた子の、兄に当たる子である。この子は学校に通っていれば小学校高学年か、中学生なのだが、学校に通わせてもらえず、今回の家族の解体につながる直接のきっかけを作った。ベランダにいた子も成長すれば兄のように学校に通いたくなるだろうから遅かれ早かれこの解体は起こったと見るのが自然だろう。
そしてこの解体に一番の打撃を被ったのは父親である。彼は何よりも家族の愛を大事にしていたし、母親からの年金も当てにしていたし、子供を使った万引きからも直接の利益を得ていた(というか万引きをしなければ子供を養えなかった)。それらのすべてを失ったのである。解体後、彼は一人寂しく暮らすが、妻が釈放されればまた似たような家族を作るかもしれない。
この父親と同程度、もしくは父親よりひどい打撃を被ったのはベランダに放置されていた女の子である。この子の場合は単に何もなかった頃に逆戻りするだけだ。両親は誘拐されてから3日間も警察に通報せず、世間から叩かれていたので、戻ってからはもう少し、例えば福祉課の人が定期的に通うなどしてネグレクトや虐待が緩和するかと思いきや、たいして監視もされず、相変わらずネグレクトや虐待が続く。彼女の場合は早くもといた場所に戻りたい願うはずだ(と単純に思ったが、実際にそうなのかは分からん)。
そうすると、愛情深いだめ家族という環境はごく幼い頃には良いもので、子供は両親(?)の愛情に包まれ、心健やかに育つが、成長するにつれて学校などの社会的なものに関わらなくてはならなくなって良くなくなるということか。つまり継続的な関係ではない。愛だけじゃ子供は育てられない、と。
しかしこのだめ家族は愛だけじゃなくて、明確な経済関係もあった。例えば、リリー・フランキー夫妻とどういう関係なのか最後まで分からなかったのだが(娘?)、同居していた年頃の若い女の子の面倒を見る代わりに別の家族(誰?)から祖母は支援金をもらっていたし、祖母の年金を家族は死んでからも受給していたし、子供を万引きに使って食費を浮かせていた。なので、「お金のために一緒にいた」と言うこともできる。いろんなものが渾然一体となったのが家族ということでそろそろ寝ますね。

 

 P.S 結局のところ、何が言いたいのか分からない映画だった。社会のものさしでは測れない幸福もあるんだって言いたかったのか?タイトルとDVDの表紙からしてもそう言いたかった可能性がある。しかしそんなの自明じゃないか?

 

万引き家族【映画小説化作品】

万引き家族【映画小説化作品】