月刊ニヒリスト

ニヒリストが日々あったことを綴るブログです。

らんちう

なんで聴き始めたか忘れたけど、90年代のイカ天という番組で有名になった「たま」というバンドを十年ぶりくらいに聴いて、Wikipedia「たま」について調べていたらドキュメンタリー映画があることを知って、見てみた。

youtubeのレンタル映画は視聴期間が三日間しかないから、途中まで見てしばらく放置ということができないので二日間で最後まで見た。

内容としては90年代のイカ天で「たま現象」と呼ばれるほど有名になった当時の状況と、バンド解散に至った経緯と、解散後のそれぞれのメンバーの活動が撮影者のインタビュアーによって掘り下げられるというものだった(まあ、一般的なことを聞いているだけでそんなに掘り下げている感はなかった)。

確か十年くらい前に初めて「たま」のアルバムを聞いたときも曲によって曲調がまったく異なるのと、曲によってボーカルも違うから、作曲家がメンバーの中に複数人いるのだなと思ったけど、多分その当時もウィキで調べた覚えがあるが、メンバー全員がシンガーソングライターだと知って驚いた。まあ、それで音楽感の違いで対立とか起きないのかなと思ったけど、メンバーそれぞれが独立して曲を作って自分の曲は自分で歌うということで目立った対立は起きなかったらしい。

で、まあ解散の理由は柳原さんというキーボード兼コーラス担当の人が、「自分の音楽をやりたい」ということで脱退し、その後、しばらく「たま」の活動は続いたが、知久さんがやめたいと言ったことで解散に至ったらしい。でも、これを書いてて思ったが、「たま」はメンバーそれぞれが自分の曲は自分で歌うというスタイルだから柳原さんも自分の曲をやれたのでは、と思ったが、筋肉少女帯の人が映画の中で言っていた通り、当時、観客のけっこうな割合が「たま」を変態バンドというか、頭おかしい系と見なしていたので、柳原さんはそういう見られ方をしている「たま」で自分の曲はできないと感じていたのかもしれないなとちょっと思った。映画の中では柳原さんのインタビューはなかった。本人の意向により収録できなかったらしい。

 

解散後のメンバーそれぞれのメンバーそれぞれの活動だが、やはり知久さんの音楽にはすごい才能を感じた。音が緻密なパズルのように組み上がっている感じがして、曲に物語性もあった。いつかライブを聞きに行きたいと思った。

もうひとりのベースのイケメンの人も良い声で、センスの良い音楽をするなと思った。映画の中で何度もこの人の曲が流れて聞き入ってしまった。

しかしドラムの人は明らかに才能がなくて途中まで聞いたが、疲れるので、この人の曲だけ飛ばした。バンドが解散して一番被害を被っているのはこの人だと思った。インタビューではバンド解散について「解散してほしくはなかった」ということは言っていなかったが、内心ではどう思っているのか探りながら映画を見ていたが、よく分からなかった。

 

「らんちう」(※1)みたいなアングラな雰囲気の曲ってどうやって作ったのか気になる。知久さんが若い頃に通っていた北千住の「甚六屋」になにかヒントがあるのかなとウィキを読んでて思った。あるいは寺山修司とかのアングラ演劇なんだろうか。丸尾末広の漫画にも通じている感じがする。懐かしくて寒々しくてグロテスクな感じ。

(※1)下のイカ天の動画の「魚で一番悲しい金魚、金魚で一番悲しいらんちう」と歌う時の知久さんが表情が良いです。

その部分の後に柳原さんの独白が流れるのですが、いくつかバージョンがあって、「大阪の十三のクラブ、エジンバラ」と言っていて、職場が割と近くなので、まだあるのかなと店名と地名で検索したけど、見つからなかったです。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com